「はーい、真澄ちゃん、オッケー」
私はディレクターのその言葉で、大きくため息をついた。
「お疲れー、控え室へ戻っていいよー」
「はーい」
今度発売される新作のワンピースは、とても格式高いメーカーのものなので、モデルとなる私もそれなりの緊張感を持たざるを得なかった。
その緊張が解きほぐれた瞬間、やっと現実に帰ってくることができたという感覚がした。
控え室に戻ると。
私はバスローブ姿でストレッチをしながら、スマホを見た。
画面には、姉とその婚約者の姿。
思わず、笑みがこぼれる。
「おねーちゃん、幸せになってほしいなー」
私がそう呟くと。
「あら、真澄さんだって、引く手数多だと思いますよ」
マネージャーの百合子が、ニコニコと笑いながら入ってきた。
彼女の手にはホットのレモンティー。
「ゆりっち。それは褒め言葉?お世辞?」
百合子のことは、ゆりっち、と呼んでいる。
ゆりっちから照れながらレモンティーを受け取ると、私はそれを、がぶりと飲んだ。
するとゆりっちは、にこやかに笑った。
「あはは、その両方とも違います。私が本当の事を、思ったまま言ったまでです。お姉さま、良かったですね」
「うん。あの人なら、おねーちゃん大切にしてくれそうだし」
……でも、私は。
その言葉は、飲み込んだ。
だってあんまり暗い言葉、使いたくないから。
「はー、やっぱりゆりっちお手製のレモンティーは違うね!美味しくてたまんなーい!」
私はそう言って、明るく笑った。
「そうですか?真澄さんにそう言っていただけると、すごく嬉しいです!」
ゆりっちも、ニコニコと嬉しそう。
……これでいい、これでいいんだ。
すると、手にしていたスマホが、着信音を鳴らした。
「あ、由梨からだ」
由梨、百合子、「ゆり」って音が紛らわしいから、由梨はそのまま由梨、と呼んでいる。
おねーちゃんの婚約者が助けた、同期のモデル、由梨。
私と違って気が強くないし、流されやすいから、少し心配。
「ちょっと出るね」
「はい。楽しくお話ししてくださいね」
ゆりっちは、嬉しそうにしながら、私の控え室から出て行った。
「はーい、もしもーし」
『あ、真澄?今、時間ある?』
「うん、ちょうど撮影終わったところ」
『私も!じゃあさ、ちょっとこれから、一緒に喫茶店に行かない?』
「ん?あの珈琲屋さん?」
『ううん、違うの。新しくオープンしたお店でね。フェアトレードとか、農薬使っていないとか、そういうデザートも扱ってるお店なの』
「へえー。楽しそうだね」
『うん。雑誌で見たところ、ログハウス風のお店で。特にケーキを作ってる若い男性が、とても 素敵で……えっと、それは置いといて。とにかく、一緒に行かない?』
「うん、いいよ!待ち合わせは駅前のわんこ像の前でいい?」
『うん、ありがとう!じゃあ、待ってるね!』
「うん、じゃあまたね」
そう言うと、私たちは電話を終えた。
雑誌に載ってる、若い男性……か。
もしかして、由梨、惚れたのかな。
安売りは良くないし、私がしっかりしないと。
モデルっていうだけで、変な奴らが寄ってくるから。
由梨はあまり、自分がモデルだという自覚がない。
だからこそ、私が守らなくちゃ。
そうして普段着に着替えると、由梨との待ち合わせ場所へと向かった。
「ごめーん、お待たせー!」
由梨が走って、こちらに向かってきた。
「いや、全然待ってない。安心して」
私はある程度スマホで、そのお店のことを調べておいた。
オーナーは老齢の、しっかりとした感じの人。
昔、バーのオーナーだったの?って思ったほど、風格と言うか威厳がある。
一方の、由梨が気にしている、若い男性は。
そばかすが印象的な、好青年。
笑顔がなかなか、好感持てる。
ま、でも。
人って外見によらないからね。
実際に行って、試してみようじゃない。
「で、真澄。どうだった?今日の撮影は」
歩きながら、由梨と話している。
「どうもこうも……緊張しまくりだったよ」
私がため息をつくと。
「ふふ、真澄も緊張するとき、あるんだね」
「えー、私だってロボットじゃないし。そりゃ緊張だってするよ」
「なんでもできる、才女、って感じじゃん?」
「まあ、それなりにね」
「あー、錦織さん。真澄の方に目が行くかも~」
「え?にしこおり?誰それ」
「これから行く、喫茶店の、デザート担当の男性だよ。なんか素朴そうだし、いいなって思って」
はー。
やっぱり、か。
「あのね、由梨。私たちモデルはね、安売りしちゃいけないの。たぶらかされたらお終いだよ?」
「分かってる。でも、この人なら、なんか良さそう」
もう由梨は、目がハート形に煌めいている。
まあ、とりあえず。
喫茶店に着いてから、どう出るか、だね。
「いらっしゃいませ」
にこやかに微笑むのは。
「わー!錦織さん!」
由梨はもう、ラブモード全開だ。
「ご注文は何になさいますか?」
錦織さんの問いかけに。
「じゃあ、雑誌に載ってた、チョコレートケーキで」
「承りました、お飲み物は?」
「えっと、ハイビスカスティーで」
「はい。お客様は、何になさいますか?」
にこやかに微笑んで、錦織さんは私を見つめてきた。
私はぶっきらぼうに答えた。
「……森の宝石箱」
「ああ、このケーキは、この店一押しの品なんですよ!なぜこちらを選ばれましたか?」
「……ベリー類が美味しそうだったから。ただそれだけ」
「なるほど、参考にさせていただきます。お飲み物は?」
「レモンティー」
「はい、分かりました!お時間いただきますが、ご了承願います」
錦織さんは、嬉しそうにして、厨房へと向かっていった。
「んー」
由梨は、グラスの水を、じーっと見つめている。
「やっぱり、真澄の方が、好かれるよね」
「私は好かれたくない」
「私、どこがいけないかな」
「だーかーら!由梨はそういうところ直しなさい!いけないところなんてないの、自己卑下しないの!」
「んー、でも」
「暗い顔は、由梨には似合わないよ?明るく行こ?」
「うん」
そして、ケーキと飲み物が運ばれて。
「んー、サイッコー!」
さっきの暗さは何処へやら。
由梨は、甘いもので回復する、だからちょっと安心かな。
「褒めていただき、恐縮です」
その言葉に顔を上げると、錦織さんが立っていた。
「錦織さん!」
パアッと、由梨は表情を明るくした。
「とても美味しいです!これ、錦織さんの手作りですよね?」
「え?あ、はい。それはもちろんです」
錦織さんは、苦笑いする。
思考回路がショートしているのか、当たり前のこと聞いてるな、由梨は……。
私がため息をつくと。
「あ、森の宝石箱、どうでしたか?あまり美味しくなかったでしょうか」
心配そうな表情で、錦織さんは私の方を見た。
「いえ、とても美味しいです」
チラッと横目で見ながら、一言だけ感想を言っておいた。
由梨の手前、遠慮しとこ。
「それは良かったです!では、私は厨房に戻りますね」
にこり、と笑って錦織さんは立ち去っていった。
そして私たちはケーキと飲み物を堪能して。
会計を済ませるために呼び鈴を鳴らした。
錦織さんは、私たちに向かって笑顔でやってきた。
「本日はありがとうございました、またご来店くださいね!」
「はーい!」
由梨が嬉しそうに答えて席を立つ。
私も続いて、店の出口へと向かっていく。
その時。
「どうせモデルだ、俺の気持ちなんか分かる訳が無い」
……え?
その言葉に、私は後ろを振り返る。
でも、そこには誰もいない。
「なんだったの、今の……」
私は思わず、つぶやいた。
数日後。
普段と同じように仕事をして、家に戻ると。
チャットの通知に気が付いた。
……由梨からだ。
『ごめん、真澄。時間があるときで良いから、通話しても大丈夫?』
一体どうしたんだろ。
つか、嫌な予感する……なんか直感みたいな。
『もちのろん。今大丈夫』
パパッとスマホをタップした。
すると、すぐに由梨からかかってきた。
「由梨、おつかれ。何かあった?」
『……』
よく耳を澄ませると、スマホ越しに、由梨が、無言で泣いているのが聞こえてきた。
「由梨、マジ大丈夫?無理に話さなくてもいい、泣き終わるまで待ってるし」
すると、すすり泣く音がやんで、由梨の声が聞こえてきた。
『振られちゃった……』
「え?振られた?誰に?」
『えっとね、あの……錦織さん』
あー、そかそか、そういうことね。
喫茶店に一緒に行ったとき、由梨、一目惚れしてたもんね。
タイミングもあるし、仕方ないよね。
「そりゃつらいね。んーと……錦織さん、彼女もちだったとか。そんな感じ?」
『違うの。彼女はいない、って言ってて。もちろん奥さんもいない。そういうんじゃなくて……』
そしてまた由梨は、嗚咽をもらす。
「ゆっくりでいいよ」
『……うん、ありがとう。あのね、錦織さんに告白したらね』
「うん」
『あなたみたいな、顔を売って生きているような女性は、他の男性にも同じことを言うんでしょうね、って』
「……え?」
『それで……私、何も言えなくて。そうしたら、錦織さんは、やっぱり図星なんですね、って。俺はそういう男性を見下すような軽々しい女性とは付き合えません、って。そう言われたの』
言い終わると、由梨は号泣していた。
「ちょ、マジで酷い……つーか、顔を売るとか、モデルのこと馬鹿にしてんじゃん」
『そうだよね、そうだけど……私、反論も何もできなくて。本当につらくて』
「なんか、めっちゃムカつくね」
『そうだね……あと、昔のことも思い出しちゃって』
「そだね、由梨は、お父さんのトラウマあるもんね。見返すためにモデルになったのにさ」
『うん。お前は顔だけで、勉強できない無能な子どもだ、って。お父さんにいつも言われてたからね。だから、すっごくすっごくつらい。でも、何も言い返せなかった。……ていうか、ごめんね、真澄。こんなにたくさん愚痴っちゃって』
「だいじょーぶ。由梨の愚痴なら、何日でも何か月でも聞くから。それにしても、ほんっとムカつく」
『あはは。真澄って、すごく頼もしいよね』
「え?なんでさ」
『大切な人のためになら、ものすごく真剣になってくれるところとか』
「そんなの当たり前じゃん?つーかさ、敵討ちしてもいい?」
『え?』
「だってさ、由梨は、言い返すことすら出来なかったんでしょ?」
『うん……まあね。あの場所に真澄がいたら、って思ってた。それか真澄が代わりに怒ってくれたら、って思っちゃった。私、泣くことしかできないから』
「じゃあ、決まりだね。私、敵討ちに行くよ」
『ありがとう。真澄って本当に優しいね』
「えー?違うよ、由梨だって優しいし。今度さ、時間があったら、他の喫茶店に一緒に行こ。そこで心のドロドロ、浄化しよう」
『うん、そうしたいな。あ、もうこんな時間だね、おやすみ。今日は本当にありがとう』
「いえいえ、おやすみー」
通話が終わったあと、私もお風呂に入って、眠りについた。
……久しぶりに、昔の夢を見た。
起きたら、汗びっしょり。
そして息ができないくらいに、心臓がバクバクいってる。
でも夢の内容は、思い出せない。
「だれか、助けて……」
思わず、呟いた。
すると。
「真澄、大丈夫?」
私の扉を軽く叩くノック音とともに、お姉ちゃんの声が聞こえてきた。
私は乱暴に目をこする。
「なんでもないよ、おねーちゃん」
「そうなの?でもね、声が聞こえてきたから……入ってもいい?」
「……うん」
そしてドアが開いて、お姉ちゃんは、私の様子を見て。
「真澄!」
そう叫んで、お姉ちゃんは、私を抱きしめた。
「大丈夫。今はもう大丈夫。私がついているからね」
その温かい感触と、言葉とに、私は目からぽろぽろと涙をこぼした。
「おねーちゃん……」
こうしてお姉ちゃんに抱きしめてもらっていると、心が落ち着く。
お姉ちゃんの温かさが、私の心を包み込む。
すると、自然と、脈拍も呼吸も整った。
そして、私は微睡んだ。
最初お姉ちゃんと会った時は、容姿とか体型とか、どうでもいい、って思った。
なんか、オーラ的なものを感じたんだ。
何もかも包み込む、聖母さまのような。
生物ではなく、そんなのを、何億倍も超越してる。
そんな感じだったんだ。
お父さんがお母さんと離婚して。
親権はお父さんに渡って。
お父さんは、良い女性が居たから、再婚したい……そう言った。
その時は、目の前が真っ暗になった。
ようやくお母さんと離れられたと思ったのに、って。
束の間の休息は、なんて短いんだろう、って。
……でも、一番苦しんでいたのは、お父さんだったんだ。
だって、結婚相手に裏切られていたんだから。
離婚したって、縁を切ったって。
お母さんのせいで、女性に対する猜疑心は強くなっているはずなんだから。
だけど、そのお父さんが選んだんだ。
だから、会ってみよう、と私は思った。
そのお父さんが再婚を決めた女性は、病に侵されていた。
今の医学では到底追いつかない、そんな病に。
だから、私が新しいお母さんに初めて会ったのは、県立中央病院という、私の住んでるとこでは設備が一番整った病院の、一室だった。
まだ女性恐怖症の幼い私は、恐る恐る、病室に足を踏み入れた。
そうしたら、なんだか声が聞こえてきた。
温かくて、ホンワカしてて、優しげな声が。
こっそり覗いていると。
椅子に座って、こちらに背を向けて、女の子が絵本を朗読していた。
その絵本の内容はよく分からなかった……ていうか、元のお母さんは、絵本なんか読んでくれなかったし、絵本自体、全然知らなかった。
でも、それよりも。
なんで女の子が、絵本を、大人の女性に読み聞かせているの?
普通、逆じゃない?
そんな事を考えていたら、女性が私の存在に気がついて。
にこり、と笑った。
そして、こちらに手招きをした。
その後、絵本を読んでいた女の子も、こちらに振り向いた。
ヤバい、ばれた!
そう思って、思わず病室から逃げようとした私に。
女の子は言ったんだ。
「ますみちゃん、おかえりなさい」って。
元のお母さんが、言ったこともない。
そんな言葉を、初めて会った私に、お姉ちゃんは言ってくれたんだ。
「ますみちゃん、数学得意よね」
にこにこ、とお姉ちゃんが私に微笑みかける。
「うん」
照れ隠しに、ぶっきらぼうに私は答えた。
「私は相も変わらず苦手なの。ねえ、ますみちゃん、教えてくれる?」
「ん、いいよ」
私は、お姉ちゃんの持っている参考書を手に取る。
「んーと、ここが分からないのかな?」
「うん、そうなの。ますみちゃんは解ける?」
「余裕っしょ」
私はノートを取り出し、スラスラと書いていく。
「これが解法の一つ。ここはこの公式、ここはこの定理を使ってる」
「なるほどね!こういう風にこの公式を使えば良いのね」
「ん、そうそう」
お姉ちゃんの、キラキラ輝く瞳が、私を見る。
「本当にありがとう、ますみちゃん!」
「いーえ。また分からないトコあったら訊いて」
そう言って、再び私はパソコンに向かう。
私は、今まで、数学に支えられてきた。
元のお母さんは感情論で物事を言うから、疲れてた。
感情なんて、邪魔者でしかない。
私には、感情なんていらない。
冷静な思考こそが、争いを鎮める。
そんな風に思ってた。
……でも、心は空っぽだった。
だって、元のお母さんは、愛情なんてくれなかったから。
そんなこと、子どもはすぐに見抜く。
本能の、煩悩の赴くまま、元のお母さんは生きていた。
理性の欠片も無い。
獣と一緒。
そんな元のお母さんに反発して、耳触りの悪い激昂に対して、私は論破しまくった。
だからますます、母と子の関係性は悪化する。
……論破することで、私も元のお母さんに甘えていたのかも。
でも甘えても、元のお母さんの眼中に、私なんて居なくて。
男が好き。
快楽が好き。
子どもなんて産まなきゃ良かった、って毎日言われた。
邪魔者でしかない、私。
泣くことすらできない、だって泣くのってハズいから。
そんな私が、唯一泣いて抱きついたのが、お姉ちゃん。
精神年齢メッチャ高い、お姉ちゃん。
だから、支えていきたい。
ずっと守りたい。
お姉ちゃんは、優しいがゆえに、学校でいじめられていたから。
私が相手の一挙一動を捉えて論破しまくって、お姉ちゃんを守った。
そして今こそ。
由梨の仇をとろう。
私の持つ、何もかも論破する、という武器で。
「……すみ、真澄。落ち着いた?」
お姉ちゃんの声で、ハッと意識を取り戻す。
なんか、昔の夢、見てたかな。
「おねーちゃん……」
お姉ちゃんが部屋に来てから、どれくらい時間が過ぎたのかな。
もう、お昼に近い。
朝から、ずっとお姉ちゃんは、私のことを抱きしめていてくれたんだ。
「……おねーちゃん」
不意に涙が出てきた。
「まあ!錦織さんはそんなことを?」
「……うん」
居間で、お姉ちゃんが作ってくれた、秘伝の野菜のスープを飲みながら、私は頷く。
そのスープのおかげで、やっと意識がはっきりしてきた。
「それで、由梨さんは深く傷ついたのね」
お姉ちゃんの問いに対して、私はスープの表面を見つめながら答えた。
「最初は私も穏便に済ませようと思ってた。でも由梨は、過去にもトラウマがあって、余計にキズが深くなった。錦織さんはとても酷いことを言ったから。だから、私はもう錦織さんに同情はできない、今日にでもあの店に行って……」
「ちょっと待ちなさい」
「……え?」
私はお姉ちゃんの方を見る。
「それは、真澄の問題なの?それとも、由梨さんの問題なの?どちらかしら」
「どちら、って。どーゆー意味?」
「真澄は正義感があって、とても立派よ。でもね、あまりにも強すぎる正義感は、誰のためにもならないの」
正義感が、誰の為にもならない?
「真澄は、他人との境界線を引けない。そんなところがあるの。優しいから、相手の問題に共感しすぎて、自分を見失ってしまっている。
ねえ真澄、本当に大切なことは何かしら?」
「えっと、それは……」
思わず言葉に詰まる。
「大切な人が傷ついたら、自分の感情に振り回されないで、冷静に対処することよ」
私が、自分ではできていると思っていたことなのに。
できていなかったんだ。
お姉ちゃんは続ける。
「真澄はね、小さな頃から、感情を押し殺して生きてきたの。
だから冷静なふりをしていても、 本当は、感情が真澄を振り回してしまっている。それはとても良くないことよ」
「でも由梨が苦しんでたら、助けるのとーぜんじゃん」
「助け方にもうまい方法があるのよ。それを、翔さんが教えてくれたじゃない」
……翔さん。
お姉ちゃんの、婚約者。
大切な大切な、お姉ちゃんを、助けてくれた人。
でも……。
「でも、私にだって考えが……」
「時には人に頼ることも大切よ」
……頼る?
「今度改めて。翔さんと私たち三人で、あのお店に行きましょう。翔さんなら、きっと良い解決策を考えてくれるわ」
「んー……」
別に、翔さんが嫌いなワケじゃない。
なんだかモヤモヤした嫉妬みたいな気持ちが、わいてくるだけ。
「……わかった」
私は気だるそうにして、頷いた。
「見つけ出したんですよ」
喫茶店で、席に着いた途端、翔さんのその言葉に、私は思考がストップした。
翔さんは、ぼうぜんとする私を尻目に、コーヒーを口に含む。
「ん、これは……とても良い味ですね」
「そうですか!」
嬉しそうに、目を見開く錦織さん。
錦織さんは、翔さんの座っている席の隣に立っている。
「ええ。温度も抽出速度も丁度良く、酸味と苦味のバランスが上手くとれています。僕好みですね……これは素晴らしい」
そう言って翔さんは、錦織さんに微笑む。
「それは良かった!長年練習してきた甲斐がありますよ!」
「ええ、とても美味しいわね。さすが翔さん……今日は忙しい中、連れてきてくれてありがとう」
お姉ちゃんはニコニコしながら、翔さんに言った。
「まあね」
翔さんは、少し照れているようだ。
「洋子さんの妹さんの紹介するお店なら、僕は喜んで連れ出すよ」
「……え?」
錦織さんは、それを聞いて、驚いている様子だ。
「ありがとう、真澄さん。僕にこのお店を教えてくれて。おかげで僕の大切な人が喜んでくれた」
翔さんは、ふんわり、と私に笑いかける。
「私にとっても大切なんですけど」
私はジロリ、と翔さんを睨む。
「つーかさ、何?見つけ出した、って」
「だから、君の……」
「二度と元の母に会いたくない、って言ったはずなんだけど!」
私は大声でそう言って、テーブルを思いっきり両手で叩いた。
周りはシーンと静まり返った。
錦織さんも、固まっていた。
「話が違うじゃない!由梨のことで用があるからついてきてくれ、って頼んだはずよ?なのにどうして……どうして私の母が出てくるワケ?」
翔さんは私が声を荒げても、平然としたままだ。
何も答えてくれない。
「真澄、落ち着いて!私だって意味がわからないんだから。真澄も……」
「おねーちゃん!最初から知ってたんでしょ?嘘つかないでよ、あたしそういうのキライなの!」
「待って、嘘なんかついてない、本当よ!私が嘘をついたことある?」
……矛盾。
不整合。
それに気がついて、頭の中の回路の一部がプチンと切れた。
大切な、大切な回路が。
「あるわよ、たーっくさんね。学校でいじめられてたこと、隠してた。
数学の勉強をお父さんに怒られてキライになったってことも、隠してた。あと、お母さんが……」
「黙りなさい!それ以上言ったら……」
「あのー、お客様?」
振り向くと、錦織さんの後ろには、苦笑いした初老の男性が居た。
「喧嘩なら、外でやってくれませんかねえ?うちも経営が成り立たなくなります、営業妨害はおやめください」
そして、錦織さんの方にも振り向いて言った。
「錦織くん。君も相変わらず、女性にモテモテだねえ。申し訳ないけれども、君もこの女性方のお相手、してやってくんないかね?」
「は、はい……」
その初老の男性は、凍りついた目で、ニヤニヤと笑っていた。
そして、翔さん以外の、私とお姉ちゃん、錦織さんの三人は、店の外へと追いやられた。
店の外では。
「そんなことが……」
錦織さんはぼうぜんとしていた。
私は錦織さんを見上げた。
涙で、錦織さんの顔が何重にもぼやけて見える。
「……立てますか?」
錦織さんは、しゃがんでいる私に手を差し伸べた。
私は返事はせず、首を横に振った。
そしてまた顔を伏せた。
まだ立てない。
……と言うか立ちたくない。
他人に泣き顔なんか見られたくない。
こうやって、しゃがんで顔を隠して。
その方が、気が楽だ。
「そうだ、お水でも持ってきましょうか」
錦織さんは、パッと身を翻して、店へと戻った。
「真澄、大丈夫?」
お姉ちゃんの声がする。
私は顔を上げて、首を横に振った。
そしてまた顔を伏せた。
「……そうよね。一気に思いを吐き出して、大丈夫ではないわよね」
こくり、と無言のまま頷く。
「でも。錦織さんに過去の話を聞いてもらって、少しは楽になったのかもしれないわ」
そうなのかな。
由梨をあんなにまで傷つけたんだから、その友人の私のことだって、良くは思っていないはずでしょ。
どうせ、自己保身。
客が怒鳴る、店長が来る、自分の責任になる。
だから、うまいこと穏便に済ませよう。
そうゆう仕組み。
それくらい、分かってる。
私は顔を上げた。
「お姉ちゃん、帰ろう」
「え?でも……」
「もういい、支払いは翔さんに任せる。だってあの人が有る事無い事言うから、私は混乱して……」
「ちょっと待ってください」
その声に振り向くと。
錦織さんは、水の入ったグラスを手に持ち、こちらに向かって走ってきた。
「……何か用?」
「喉が渇いたと思いまして。お水を……」
「要らないから、そーゆーの」
「お願いします。どうか飲んでください。美味しい水ですよ」
悲しげに、錦織さんは笑う。
チッ、と舌打ちすると、私はグラスを受け取り、一気に飲み干した。
「……美味しい」
思わず、口からその言葉が出てきた。
「でしょう?」
錦織さんは心底嬉しそうにして、私に微笑んだ。
「この水は、スペインで採れた天然水でして。店長お気に入りの逸品です」
「知ってる、青いボトルのでしょう?」
「ああ、ご存知でしたか!さすが、真澄さんですね!」
「あのさ」
「はい?」
「あんま馴れ馴れしくしないでくれない?由梨をあんなに傷つけておいて。白々しいったらありゃしない」
「それは……本当に、本当にすみませんでした」
錦織さんは、頭を垂れる。
「ねえ。もう一回訊く。なんで、由梨に傷つけるような事言ったの?」
「えっと……それは……」
「ほら早く。答えなさいよ」
「真澄!そんなにキツく言ったらダメよ!」
「おねーちゃんは黙ってて」
私は、錦織さんの目を、じっと見る。
……あれ?
ちょっと待って。
どこかで錦織さん、見た事ある。
雑誌でも、店でもない。
もっと、別の場所で。
……もしかして。
「もしかして、錦織さん。あなたは……」
私がそう口走ると、錦織さんは表情を歪めた。
「錦織さん……もしかしたら、有里子っていうモデルの、弟さん?」
しばらく、沈黙が続く。
そして、苦々しそうにして、錦織さんは口を開いた。
「あいつは……有里子は。姉ではなく、俺の母です」
え?
……母?
「俺は、母とは色々ありました。その事を、パンドラの箱のようなものを、ずっと心の奥底にしまっていました。それを、由梨さんが、開けてしまったのです」
「え、由梨が?」
あんなにデリカシーのある、由梨が?
「由梨さんは仰いました……有里子さんと親しくしている、と。そして、今度この店に連れて来たい、とも仰いました。
俺はその時から体の震えを感じました。ですから、それはおやめ下さい、と言いたかったのです。
しかし、こちらもお店の手前、何も言えませんでした」
見ると、錦織さんは、体を小刻みに震わせている。
「由梨さんは、さらに仰いました。有里子さんは気立ても良くて優しい方だから、是非とも錦織さんに会ってもらいたい、と」
錦織さん、苦痛そうに、表情を歪めている。
そんなにも、苦しいの……?
「あんな事をした母に、俺は、どうやって会えばいいのでしょう?もう、会ったが最後、仕事が出来なくなります。ですから、俺は強行手段に出ました」
「それが……由梨の告白を断って、きつい言葉で、店に来させなくさせること、だったのね」
「そうです。自分でも幼稚だと思います。ですが、それくらい、俺も苦しかったのです」
錦織さんの頬には、涙が伝っていた。
「……そういう事だったのね」
私だって、翔さんにいきなり「母を見つけ出した」って言われて、思考回路がショートした。
錦織さんが泣くほど辛いのは、充分理解できる。
……つか、他のお客さんとか、お店の人とか、おねーちゃんにまで迷惑かけた。
あんな怒鳴り声あげちゃって。
なんかマジで自己嫌悪。
「真澄さん……そんな、悲しそうなお顔をなさらないでください」
錦織さんは、涙を拭って微笑んだ。
「だってさ……事情も知らないのに、錦織さんにキツく言っちゃった」
「それは仕方のない事です」
「でも……」
「謝らないで下さいね、悪いのは俺です。真澄さんのご友人の心を傷つけたのですから」
「それはもういい。由梨は案外とすぐ立ち直るタイプだし。それよりも私は……」
錦織さんの事が、心配だ。
どんな目に遭ってきたのか、だとかは聞かない方がいい。
傷口を抉るから。
でも、もう少しだけ。
錦織さんと、話したい。
「どうかされましたか?」
「え?……いや、何でもない」
錦織さんの言葉に、ぶっきらぼうに応える。
「あの……もし宜しければ」
「うん」
「また、このお店に来てください」
錦織さん、相変わらず、笑顔が素敵だ。
「んー、気が向いたらね。私も忙しいから。一応モデルだし。つか錦織さん、モデルとかキライでしょ?」
「嫌いではないです、ただ……」
錦織さんは、悲しそうな表情を浮かべた。
「モデル、と聞くと、母と重ねてしまうだけで。それは俺の悪い癖です」
「じゃあ、私だってその部類に入るっしょ」
「いや、真澄さんは違います」
きっぱりと言われた。
「どこがさ」
「表現するのは難しいです。ですが、真澄さんのお話は、俺にとっては心地よいです」
……は?
「どこが?こんなキツい口調で話してんのに?」
「確かにそうなんですが、どこか愛情を感じます」
「……バカじゃね?」
「バカとか、そういう言葉は慎んでいただきたいですがね」
クスッと、錦織さんは笑う。
……でも、だって、ホントにバカじゃん。
私なんかを褒めそやしても、何もいい事ないっつーのに。
「あ、もうそろそろお店に戻ります。由梨さんには、申し訳なかった、と伝えて下さったら嬉しいです。
俺は言い訳は苦手です……しかし俺も過去に色々ありまして、母だけは連れて来ないで欲しい、という事も、お伝え願います」
そう言うと、錦織さんは小走りで店に戻って行った。
それから何度か、私はそのお店に足を運んだ。
錦織さんは、手が空いている時には、私に話しかけてくる。
私はテキトーに頷きながら、サラダを頬張る。
……まあ、内心嬉しい事には違いがないけど。
「あ、そういえば」
錦織さんは、ハッと何かに気がついた様に、目を見開いた。
「なに?」
「これを真澄さんに渡したくて」
錦織さんがポケットから取り出したのは、質素な作りの木製の小さな箱。
「……これ、何?」
「オルゴールです」
オルゴール?
「これを……何となく、渡したいな、と思いまして」
「随分と積極的なアプローチしてくるんだね」
紅茶に口をつけながら、ジッと錦織さんを見つめる。
「いや、あの……嫌だったり、要らなかったら断って下さい。別に無理に押し付けたりしたくはないので」
錦織さん、顔がなんか赤いし。
「誰がイヤっつった」
私は、紅茶のカップをテーブルの上に戻すと、オルゴールを受け取った。
「で、何の曲なわけさ」
「とりあえず、開けて聴いてみてください」
「はいはい」
私が箱を開けると。
優しく、ゆったりとした曲が流れて。
「……きらきら星?」
「そうです!」
錦織さん、目をきらきらさせてる。
「これ、俺の宝物なんです。是非とも真澄さんにプレゼントしたくて。どうでしょうか?」
「んー、ありがと。嬉しいかも」
「それは良かったです!」
そして、一つせきばらいをすると。
錦織さんは、にこやかに笑って言った。
「きらきら星は、モーツァルトで有名ですよね」
「うん」
「元と言えば、フランスの民謡から来ておりまして。題名は……」
「ああ、話したいの、ママ」
いきなり低い声が聞こえたので、錦織さんも私も、驚いて振り向いた。
「お久しぶりですね、真澄さん。どうでしょう、錦織くんとは仲良くなさっていますか?」
あの、営業妨害だとか言ってきた、初老の男性だ。
今は、とてもにこやかに笑っている。
「えっと、あの……」
錦織さんがしどろもどろになっていると。
「錦織くんが、この宝物を渡すくらいだからね。錦織くんは相当、真澄さんにお熱なんだね」
私も錦織さんも、顔が赤くなる。
「それは置いておくとして。この曲の、原曲のタイトルは『ああ、話したいの、ママ』と言うんだよ。
なかなか可愛らしいタイトルだとは思わんかね?」
「……そうですね」
なんか、私の気持ちを潤してくれるような、そんな題名だったんだ。
幼い頃から無視されて育ってきた。
話なんて聞いてもらった事ない。
うるさい、でお終い。
悲しかったし、辛かった。
だから、心にぽっかり穴が開いて。
お母さんに、話を聞いてもらいたかった。
ほんのちょっとだけ、でも良いから。
「これを渡したかったのは、このオルゴールを、真澄さんの本当のお母さん、と思って頂きたくて。
辛くなったら、このオルゴールが、真澄さんの想いを聞いてくれる。そんな風に思って頂きたくて」
「……ありがと」
「俺も勿論、真澄さんの辛かった経験、聞きます。ですが、俺がいない時。そのオルゴールを、開いてください」
錦織さんが真剣に言うもので、私は苦笑した。
「つか私、そんなに錦織さんに依存したくないから。安心して」
「まあ、それはそうですが。俺としては、もう少し心を許していただきたい所存です」
クスッと、錦織さんも笑う。
「心を許すねー、できっかな」
「お願いします」
「んー、考えとく」
素直になれないのが、私のいけないとこだとは分かってるけど。
なんか、心の穴に、温かいものが流れ込んでくるのは感じてる。
大切にしよう。
この、手のひらのオルゴールを。
~おまけ~
俺は、祖父に育てられてきた。
祖父は和菓子の職人で、何度も賞をとったことのある、尊敬できる人だった。
俺は、祖父の姿を見て、そして祖父の創り出したお菓子で客のほころぶ笑みを見て。
いつか、錦織という名に恥じない、お菓子の職人になりたい、と思った。
母はと言えば、家族に反発して、若くしてモデルをやっていた。
そして偶然知り合った、名前も知らない男性と関係を持って産まれてしまったのが、俺だった。
そんな俺を、祖父が預かって、母の代わりに育ててくれた。
祖父は、いつも穏やかで、笑みが絶えない優しい人だった。
考え方も柔軟で、いくら俺が失敗しても、𠮟ることなく微笑んでくれた。
『まあいいじゃないか』が祖父の口癖だった。
そして祖父は、母が俺のことを、本心から嫌ってはいない、といつも言っていた。
母として、子どもが嫌いなわけがない。
そんなことを、祖父は信じていた。
だから俺は、たまに母の家に、祖父と一緒に遊びに行った。
いつ頃のことだっただろうか。
母は、母の家に、新しい義父を連れてきていた。
そのときにも俺と祖父は遊びに行き、祖父は、まあいいじゃないかと言って。
にこにこと料理やらなんやら、母が苦手な家事全般を受け持っていた。
新しい義父は、やたら、俺のことをじろじろと見て、ニヤニヤと笑っていた。
そしてその夜、あの忌まわしい出来事があったんだ。
誰にも話したくなかったし、きっと理解できる人なんていない、と思った。
そのことは本当に、俺の人生で最悪のものだったから。
俺は祖父の家に帰った時に、祖父に泣きながら、その出来事を話した。
すると祖父は、その時ばかりは、まあいいじゃないかとは言わなかった。
いつもの優しい笑みはどこへやら、眉間にしわを寄せながら、俺の話を聞いてくれた。
そして鬼のような形相で、母に電話をかけて、母と義父に怒鳴りつけていた。
もう二度と、わしの大切な孫に会うな、会ったら、わしがお前らを生かしてはおかんぞ。
その時俺は、祖父の偉大さに、祖父が守ってくれたことに、感謝した。
そして俺は、巷でよく言われている、愛というものが分からなくなった。
当然のことながら、俺は、母の子どもだ。
だから、顔だけは良かったらしい。
それで色々言われて誉めそやされるのが、本当に苦痛だった。
だから俺は、自分の顔を殴りつけて傷つけて、醜い顔にした。
母は俺を守ってはくれなかった。
自分の身は、自分で守る。
恋とか愛とか、馬鹿馬鹿しい、くそくらえ、だ。
そんなもの、幻想にしかすぎない。
ずっと、そう思って生きてきた。
十代の頃の俺は、ずっとフラッシュバックを起こしては、眠れない日が続いた。
寝不足の俺のことを気にしてくれた祖父は、小さな木製の箱をくれた。
それはオルゴールだった。
……今は許せないだろうけれど、いつか心が癒されると良いな。
そう言って、祖父が、にこにことオルゴールを見せてくれた。
俺は、その、手のひらのオルゴールを、宝物にした。
母のことを簡単に許すことは難しかった、もちろん義父のことも。
でも、全人類があんな人間という訳じゃない。
そして真澄さんに出会った。
一目見て、俺と同じく、人生に疲れている人なのかもしれない、と思った。
そして真澄さんの境遇を知って。
この人なら俺のことを、理解してくれるかもしれない、と思った。
そしてオルゴールを渡して、距離が近くなったころ。
口頭では言いにくい過去だったから、手紙を書いて、渡した。
何度も何度も、書き直して。
そしてようやくちゃんと書けた手紙を、真澄さんに渡した。
そうしたら、夜、真澄さんから電話がかかってきた。
……教えてくれてありがとう、今まで本当にがんばった、だから、もうがんばらなくていいよ。
泣きながら真澄さんは、そう言ってくれた。
俺はその時、祖父の言葉を思い出した。
あの忌まわしい出来事を話したときにも、祖父は同じことを言っていた。
思わず、亡き祖父のことと重なって、視界が滲んだ。
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